12月13日:極相林,人生

 以前書いたブログで示唆されたように(('24年5月29日増補版)6月23日: 破快の異常な愛情ーまたは破快はいかにして心配することをやめてラッキーストライクを吸うようになったか(2023年11月13日増補版) - はかい、おもしろい日記をかけ💢),隠田熱斗破快はもうほとんど機能していない。極相に至り,活発な動きはない。むしろ,病み散らかして最悪なプッシュ通知を送信するくらいになった。極相どころか,森が死んでいっているといってもいい。あと一か月とすこしすれば,破快は2歳になる。いいこともあればもちろん悪いこともあった。良いことか悪いことかわからないことも多々ある。

 自分の人生はREALITYと出会ってから止まってしまったような感覚がある。あれから,新しいことを学んだりしているはずなのに,どこか自分が成熟しきって”終わって”しまったような感覚がある。これは,私自身の年齢によるものなのか,あるいはSNSにのめりこんだ影響なのか。生きているのに生きていないような感じがする。自分の見ている世界を,自分を見ている世界を見ているモニタ越しにみているような感じもする。自分が自分でないような気がする。
 大学で単位をえっさほいさと集めているときは達成感があった。なにかしらの手ごたえがあった。しかし取り終えた今,それはもうないし,新たに単位を取るだけの心の余裕もない。生きているのか生きていないのかわからない。あるのは負債。暗い展望。

 無職になってから本当に惨めだ。強く,社会に不要な人間だと感じる。生きているだけで偉いという言葉が信じられなくなる。この間,パワハラが不認定になったことで希死念慮が噴き出て自殺企図をした。警察も来た。救急隊員とはメンタルヘルスの話をして,警察からは「もうしないこと」の約束をさせられた。彼らは自殺を一つ予防しようとする当事者たちだ。そこでは,「最良人生仮説」も「最後の手段としてのコーピング」も意に介されなかった。自殺志願者の私だけが,それらの捏ねられた理論をもっていて,止める人たちの中にはそれはなかった。警察も救急隊員も自殺の現場にはパターナリズムの立場をとって介入してくる。警察はよく自分の分をわきまえており,「明日明後日のことはわからない」「警察が気分を晴れさせてあげられるわけではない」としきりに言っていた。ただ,また自殺したくなって,いのちの電話とかと話しても死にたいんだったら警察に電話したっていい。という話をされた。彼らは徒手空拳で,きっと自分たちには発想の至らない”自殺”と向き合っている*1。そう考えると,自殺志願者の側から,その軽薄な正論を優しく包み込んであげたい。と愛おしく思うのであった。

*1:警察は,「俺は死にたくなったことないけど」「はかいさんにはなれないけど」と言っていた

7月27日:アスファルトに落ちる影

 アスファルトに自分の外ハネのマレットと活動帽の影が落ちる。「消防団!」「こんばんは」「すごーい」「パパもなろうかな」など、警備しているだけで話題になるとは思わなかった。今日は祭りの警備、夕方から始めたのだが、車が多く、捌くのが大変だった。優先道路がどっちかという認識もなく、なんとなくでやり取りしている(直進している=優先であると思い込んでいる)車同士をたくさんみた。私の暮らす行政単位を統べるリーダー(市長/区長)にも謁見した。なかなか面白い体験だった。毎年やるのだろう。みんなウキウキして歩いて、絶対に2度と使わないであろうマイクラのピッケルのインフレータブルをもって*1母親のケツをぶっ叩きながら歩く、あれは人をぶっ叩くためにだけしかないお祭りのお土産である。他人をぶっ叩く以外に使い道がない。それを持って帰るのだ。

 歩きながら電話で「今歩いてる」と言っている人をみた。確かにそうなのだ。見れば一目瞭然なのだ。しかし、電話越しでは、「今歩いてる」と言わないと伝わらない。当たり前のことだが、すごく不思議だった。「今歩いてる」。そんなこんなで、すっぽかした3人分の弁当を平らげてビールを飲み、今日使ったカロリーを超えるカロリーを摂取して、シャワーに入る。ミソサザイの囀りを聞きながら。今日は風呂で何を読もうかな。早いけど薬も飲んじゃおうかな。

*1:しかも中にはご丁寧にもエンチャントされたものさえあるのだ

7月24日:新宿ゴールデン街

 花園神社のそば、新宿ゴールデン街の5番通りのバーにはいった。本当は入る予定ではなかったが、いつも歩いて他人としてそこにある自分がもし当事者になったら....。とふと思い立ったのだ。バーテンダーの他に男性客二人、そのうちアメリカ出身でシアトル在住の外国人と仲良くなった。彼は日本をいたく気に入っていて、一年ごとに来日しているらしい。食べ物と買い物のために来ているようだ。日本語が流暢なところもあるが、時折わからなくなっていた。バーテンの「シフトにはいっている」の「はいっている」の使い方とか。彼は私が英語話者でもあるとわかると、英語で補完するように話しかけてきた。普通に生きていたらあまりない体験だなあ。しっかし、イケメンだったな。

 なんやかんやでテルマー湯にいる。ここにきたの、ちょうど去年くらいだろうか。松本二郎『べっちんとまんだら』を読んでいた記憶がある。卒論もしにきていた。というか、卒論をしにきていた。残念なことに、それはまだ完成していない。はああ。あの時はまだ配信をしていて、ゃやめ氏が新宿Vに登場するという一大イベントが起きた。あと、リアリティの何人かとリア凸したのもその日だった。一人は以降、私の周りを飛び回る鷦鷯になった。

 今日は平日、不思議だ、不思議な感じ、人が少ない。終電も過ぎゆく頃だ。新宿の魔境と呼ばれるこの地。まあ、自分たちの関心に基づいて作られたマップに従っての“魔境“だから、きっとこの辺には来ないだけなんだろうけど。彼らはラブホや夜の店に詳しくて、この辺には詳しくないというだけの話。今日はシャワーをして、サウナに入って、シャワーをして、明日早くに起きて外出して新大久保駅から西早稲田中学校に行く。かつての戸山中学校、そう、戸川純の母校だ。そこを目的地に歩いて、早稲田か新大久保から帰ることにしようと思う。

7月12日:火樹銀花のお話、ネトゲ回想録

 そろそろほとぼりも冷めてきたし、私がかつてハマっていたゲーム『三國志新戦』の話をしよう。東北の“こけし“がだぁいすきな私は、「こけし」というプレーヤーネームでこのゲームを始めた。最初はルールも全くわかっておらず、とにかく領地を広げて効率のいい開墾と兵隊の強化...富国強兵の政策を進め続けていた。ある時ふと、全体チャットではなく、州内チャットの存在に気づいた。ここは江東という州、ゲームの目的は司隷州にある洛陽の攻略らしいこともそこで知った。

 州内チャットは面白い人で溢れていた。もっとも、私もそのうちの一人だったのだが。ある時、私は近隣の城と軍事衝突するところまできてしまった。お互いがいわゆる“野良“同士で、戦力はこちらが優勢だったので、明確な領地の線を引いて、ここから城側を私のところにすると宣言した。同時期、州内チャットを賑わしていた“火樹銀花“という同盟が、第1回めのNPC城攻め(攻城)を実施していた。それから程なくして、私と戦っていた相手は火樹に籍を置き、野良では無くなってしまった。攻城を側から見ていた私は面白そうだと思ったし、何かへの所属欲求も発現してきたので、隣の城の人に声をかけて、火樹の盟主に繋いでもらった。最初は軍隊のように忠誠心を誓って、その州で最も強い同盟のみがいける新たな州である江漢に入るまで直向きに働いた。その結果、江漢の中でも良い位置に城を構えさせてもらえた。

 ここまでが平和なおはなし、ここからは、もはや楽しいネトゲではなく、交渉に交渉を重ねる中間管理職体験ゲームになっていく。私のいるサーバー内で最も強いのは“天地創造“、通称“天地“だった。まず、火樹は江漢内の領地争いで“銀龍行雲“と衝突し、2週間ほど一進一退の攻防を繰り広げたた。その後、火樹は敗北宣言をして、一部は江東へ帰り、残りは銀龍に吸収された。銀龍は“墨家“という組織と連合していたが、盟主の不徳によって連合が揺らぎ、銀龍も攻撃を受けた。銀龍に移動した火樹組は完全に巻き添えであり、私は墨家に説明し、火樹組を墨家に移籍させることに成功した。しかし、問題はこれからである。

 銀龍も勢いを失い、破滅したのち、墨家はとてつもないアンチ“天地“を表明してのけた。すなわち、火樹組も含め、全員がサーバー内最強である天地創造との対峙を強いられたのである。初めは、反権威の気持ちでとても楽しく天地と戦っていたが、戦っているうちになぜかわたしが天地の外交官から声をかけられ、戦いの経緯を説明するように求められたのである。私は知らないので、素直に知らないと答えたのだが、同時に「なぜ経緯を知らずに私はこの関門を攻め続けているのだろうか?」と思うようになった。理由の知らない戦争などないだろう、と思ったのである。そこで、私は墨家の外交官に戦争の経緯を尋ねたのである。すると、天地側から仕掛けてきたと回答が来た。それを天地側に確認すると、天地は墨家が仕掛けてきたという。そしてこの時、墨家の外交官が、盟主と同一人物、すなわち、外交官は盟主のサブアカウントである噂が飛んでいた。私は直感から、墨家が嘘をついていると思った。確認のために、盟主に相談しても同じことを言うし、あいかわらず派兵しろという。しかし、この戦争ももう半月近く続いているし、すでに天地は司隷入りを果たしている。勝ち目はない。さらに、天地は戦力を割かれたくないゆえに、墨家にただちに戦争をやめるように要求しており、そうでなければ力づくで資源州から引き剥がすとまで宣言している。私はいつしか、墨家の不徳から火樹組を逃さなければと思うようになった。

 私がとった戦略は“交渉“であった。そしてそれは墨家にとっては“寝返り“でもあった。私は天地に移籍した。すなわち、私の周囲のプレイヤー全員の城が赤色に、すなわち、敵になるのだ。墨家にとってこれは脅威だった。なぜならば、私の領地の足場にして、天地は好きに自分の領地を広げることができ、江漢を好きにできるからである。しかし、私はこれを許さなかった。墨家には「これはスパイ行為をするため」と言っている。こののち、戦争の調停を私が同盟チャットでしようとした。最終的に戦争は終わらなかった。どちらにせよ、私はどちらからも怪しまれながら、火樹組が江漢を諦めなくて済むように天地に行き、一定の避難所を確保したのである。これをきっかけに火樹は再スタートを切った。最初の火樹の盟主はしきりに「君がいるからゲームをやめようと思わなくなる」と言ったものだ。火樹組は墨家の体制を批判し、最終的には火樹として再び独立することに成功した。新たな同盟の出現は天地にとって脅威であるはずだったが「話のわかるやつ」、すなわち私が外交官として就任したことで、天地に目をつけられることはなかった。

 天地とは戦争をすることはなかった。資源州も、墨家を撃退するために最終的に明け渡し、火樹全員が我々の故郷、江東に帰った。私の城は、資源州の入り口付近に建てられ、天地との交渉のための窓口としてしばしば機能した。江東を平定することが、火樹全員の目的だった。まだ資源州に火樹の盟主が残っている頃は、私が盟主をやっていた。野良からスタートして、頭を下げて入れてもらった組織のリーダーになれたのだ。その後、楽しく遊びながら江東のいくつかの城を制覇し、資源州の連合を壊した銀龍の盟主の城を攻撃して遊んだりした。銀龍の盟主はビビリなのか、城の周りに狂ったように柵を置いていた。

 しばらくすると、第2シーズンが始まった。私はそれに参加し、江東で仲良くしていた同盟が再結成されたというのでそこに入ると、すぐ軍の指揮官となり、指揮をし、多大なる戦果を上げた。しかし、前の盟主は同じ組織にはいなかった。私にとっての盟主は、火樹の盟主だけだった。彼がいない同盟はつまらなかった。特段、彼が面白い人だったわけでもなんでもない。ただ、私が有能なだけでは、何も面白くなかった。しばらくするとアプリを開かなくなってしまって、そのまま引退した。別アカウントで知らない組織で副盟主もやってうまくいっていたが、辞めてしまった。いやはや、忠誠心とは、げに不思議なものである。

7月10日:ブログの半分移行のお知らせ

sizu.me

↑

のブログに今後は多くを書くだろう。隠田熱斗破快は,もはやオワコンになりつつあるので,もうそういった気持ちでものを書く必要はないのだ。もともとそんな感じでもなかったけど。

 ただ,固くない文章を生産するにはここはちょうどいいんだよね。

 今日は特に何もない一日だった。しいて言うなら2万円稼いで,PCがぶっ壊れて,スマホの画面が割れて,自殺したと思われているくらいだ。

5月29日:はかい、鍵の勉強をする

  もう最後のhatena記事を書いてから2ヶ月以上経つのか....。休職のちょっと前が最後だね。時の流れは残酷で、休職してから自分の人生を忙しく処理してたらもうこんなに月日が流れている。そしてその結果のひとつとして、鍵師の資格を取ろうと思い何故か1週間講習を受けているのである。受講が始まったのは、自傷で手の甲に大きな傷を作ってから1週間後くらいのことだった。

  元々機械工学をやっていたのと、手先が器用だから凄くたのしい。もしかしたら天職なのかもと思っている。中小企業診断士で経営コンサルタントとして独立するが、それで食って行けなくても心強い資格があると思えば悪くない。ものの仕組みを知るのは好きだし、ものを作るのも好きだから、新型シリンダーが出たら分解してピッキング用具を発明したりするのも合法的にできる。楽しそうだ。まだ資格を持っていない講習中なのに自作でピックを改良したので、それを試すのが楽しみ。遅刻しそうだけどね。いってきます。

3月28日:F・U・C・K

 死ね,死ね,死ね死ね死ね死ね死んじまえ 黄色いブタめをやっつけろ

 金で心を 汚してしまえ 死ね 死ね 死ね 死ね 死ね死ね死ね死ね死ね

 日本人は 邪魔っけだ

 黄色い日本ぶっ潰せ 死ね死ね死ね 死ね死ね死ね

 世界の地図から 消しちまえ 死ね

愛の戦士 レインボーマン より『死ね死ね団のテーマ』

 この歌は,1970年代前半に東宝が制作して放映されていた『愛の戦士レインボーマン』の敵組織のテーマソングだ。その約30年後,この『死ね死ね団のテーマ』は”おもしろフラッシュ”に転用され,歌詞をイメージして当時の政治家たちをコラージュした動画として再び当時の子どもである私の目に触れることとなった。私は,「大人がこんなにまじめに『死ね』なんて言ってるよ」と感動した。そのころから,パンクなものを好む気質があったのかもしれない。とにかく,普段は禁忌ともされている「死ね」という言葉が,それを禁止する大人たちによって呈示され,しかもなにかしらのエンターテインメントとして成立しているということがなぜかうれしかったのである。
 「死ね」という言葉は,短く,そして強い。相手の命に言及する究極的な言葉だ。そのはずなのに,一度も言ったことがないという人は珍しかろうと思う。それくらい子どもの頃は身の回りの友人も,親も言っていたのである。ただ私は,「死ね」という言葉の強さが非常に不愉快だったから,選択的に言わないようにしていた。そこで,『死ね死ね団のテーマ』に出会ったのである。当時は小学3-4年生,父親が気まぐれでもたらしたPCとプリンタとインターネットが,私の精神を形成し始めのときだった。『死ね死ね団のテーマ』に痛く感動した私は,当時仲が良かった数人の友人にその歌詞を共有するために,歌詞カードを作成して印刷して数枚くばり,自分自身でもその感動を保持するために机に入れていた。
 住んでいた地域では,掃除の時間になると椅子を机にあげて,机といすを丸ごとすべて教室の後ろに移動させていた。そのとき,だれかが私の机をもちあげた拍子に歌詞カードを落としてしまった。そしてちょうど,担任が歌詞カードを拾い上げて,誰のだ誰のだと騒ぎ立てていた。たまたま教室に戻った私が,それは自分のものだというと,先生は「こんな”死ね”だなんて書いてあるものを印刷して学校に持ってくるんじゃありません」といった。だから,素朴に「僕が考えたものじゃない」といったようなことを言い返した。でも,めんどうごとは嫌いなので,とにかくもう持ってこないことを了承して,当時の友人にはもうすっかり持って帰るようにとこっそり言った。
 今,Xでは汚言症への”ご意見”が多くみられるようになっている。精神疾患のなかには,時代に相対的なものを伴っている症状があることはすでに知られている。例えば,統合失調患者の妄想症状が,かつては「カミ(神)」や「狐」のせいにしていたような事柄は,いまでは「電波」や「創価学会」のようなものに置き換わっている。いま”ご意見”が噴出しているものは,時代に相対的に,というよりも,相当長い時間,女性に対する抑圧が行われてきたことの表出である。その”ことば”は微視的に確かに脅威であるし,人々の平静をかき乱すようなものである。しかし,その症状の背景には,明らかに,平均的人間が形成してきた”時代”があるということを忘れてはいけない。彼らをバカにする人間は,常に自分の言葉が,自分自身を検める試金石となっていることに気づいていないのだ。
 いわゆる,”政治的に”正しい表現,俗にいうところのポリティカル・コレクトネスな表現(PC表現)が正当化される筋道のひとつとしては,そうした時代的背景が,個人の意図を無視して影響していると考えられることが挙げられる。しかし,言語学における語用論の分野で一部論者は,発話される語そのものに干渉しても意味はなく,その語が発される”意図”に着目しなければならない,という。個人的には,この立場に賛成である。個人が,特定の語をなす音・文字に不快な反応を覚えることに配慮し,”たとえどのような文脈・意図であれ”,特定の語を排除することは,それは人間の非常に古典的で単純な次元,すなわち,刺激-反応の次元で保有してしまった枠組みを保持し続けるということにもなるだろう。人間は,その刺激-反応を自らコントロールできる稀有な生物種であるから,むしろその刺激-反応だけの世界に人間を押し込んでおくことは,人間の精神性を侮辱する行為である,とさえ私は思う。ただし,ここにはいくらかの理性主義的な立場があることは自覚している。だから,この主張にすべてを回収するつもりはない。刺激-反応の次元は,生物である我々がもっとも普遍的に共有しているものだから,理性主義を前提としないのならば,そこに配慮したほうが良いこともある。ただ,他者の”妄想”や”汚言”を,妄想や汚言たらしめる構成要素をなしている私たちの多くは,自信や他人を刺激-反応の枠組みに押し込んでおく必要がないほどには,理性をもっているのではないかと思う。

 あーあ。『女子攻兵』の最終巻だけを読みなおしてこんなに泣くとは思わなかった。パンクスやメタル,ロックにはよく”汚言”が出てくる。『女子攻兵』にも,赤痢という広島出身パンクバンドの『FUCK』という曲が引用される。個人的に好きなバンド・曲で汚言が含まれているもの*1としてはPennywiseの『Fuck Authority』とか,System of a Downの『Fuck the System』とか....ボキャ貧か。Fuckの話だから,Fuckって言葉が含まれてる曲ばかり思いうかぶ。言葉の狭さは世界の狭さ。そういえば,Xで話題になっているものとしてはポルノコンテンツの言い換えが問題になっているけど,それも結局は語の表現にばかり注目して,意図に着目していないから生じている不毛な問題だと思う。でも,もし,あなたの世界から「殺害」とか「死」とか「暴力」とかがの意図すらなくされてしまったら,それは本当によいことだと思うだろうか?他者や自分以外の組織が持つ「殺害」「死」「凌辱」などの恐ろしい意図を伴うことばを,自分だけが知らなかったら?割を食うのは誰なのかは火を見るよりも明らかだろう。

 そういえば,精神疾患をしばしば見ていると,破瓜して症状が深刻化していったり,苦しみに悶えている人たちが,急にキリスト教の聖書や,日蓮大聖人の仏法を引き始めることが観察される。これは,おそらく苦難の中で”救い”を求め,そこに根拠がなかろうとも,巨大コンテンツが自分に”救い”の感覚が与えられることへの快楽がそうさせていくのではないかと思う。聖書などの宗教的文献は,部分部分では説得的な箴言集として利用できるし,その宗教自体が広く知られているものならば,誰かとの”つながり”を形成することもできる。実存分析,ロゴセラピーを創始したV. E. フランクルは,精神科医は非宗教的な牧師になる必要があるというようなことを言っていた。かつては人間に生きる方向性をある程度提示してくれていた伝統,宗教が弱体化してしまい,虚無感がそこに横たわったと感じられる人たちにあっては,その人たち自身が生きる意味を見出せるように,そしてその意味自体には干渉しないように手伝う必要があるという主張だ。私は,その通りだ,と思う

 私は長らく,無神論の立場にいて,一時期は新無神論に立った。しかし,たしかに,たしかに,たしかに,たしかに,病室で患者が壁を見て神に祈るときにもそこで最善を尽くしているのは科学である。それは揺るがない,しかし,患者の生を規定するものは科学だけではない。それもたしか,ほんとうにたしかなのだ。私はたまたま,多くを科学から転用して,しばしば無味乾燥ともいわれる科学的発見を詩的に再解釈することができている。例えば,『看取られたい』のブログのときもそうだ。私たちは死後も世界に物質として循環するし,あるいはまた誰かの一部として,意識を為すような構成にいたるかもしれない。そこには,宗教的なものを前提としない輪廻転生のようなものを見出すことができよう。あるいは,人々がみる虹には何一つ同じものがない,ということも。それは,単純に雨粒が反射するスペクトルの範囲で説明されるものだが,これを,私たちそれぞれが生きて,世界を見る意味があるというナラティブにすることだってできる。私たちは宗教を不要とする準備ができている。後ここに残っているのは,私たちがそれぞれの自由意志でなにを選択するのか,だけである。おそらく,科学以上に,この世界のまともなモデルを作る方法論は存在することはかなり難しい*2。そう考えることが,本当にたまたまできているにすぎない。

 

 

*1:むしろないほうがめずらしい

*2:ただし,これはいわゆる,"最良の科学理論"と呼ばれる世界観に依存する