5月1日:地元の映画館の思い出

 映画のことを考えてたら、「先輩!おすすめの本貸してください!」と言う女子の後輩が突然、人生に現れたことを思い出した。マンガみたいな話だ。でもよくある「文学少年とのドキドキ恋愛物語!」みたいな展開にはならなかった(してあげられなかった?)。貸したのは、ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』と、アインシュタイン相対性理論』、津島佑子『寵児』、あと、毎日読む中国古典教養、みたいな本を含む、幅広い他何冊か。けっこうマジで高校時代の私はそれらが大好きだったから。でも、普通に考えて最悪だ、台無しだ。ふつう、人との軽いコミュニケーション目的で読書体験を共有したいと思うなら、著名だろうと哲学書や理工書なんか貸してはいけない。とくに岩波の青はやめた方がいい。相手を舐めているとかではなく、下手すると喧嘩になるからだ。当時の私がいかに、自分の人生に必死で周りが見えてなかったかがわかる。それはさておき、兎にも角にも、なんで本を貸すことになったのかは全く覚えてない。でも手元には、卒業前に本を返してくれるときに袋に入れてくれていた、丁寧な手書きのメッセージがしっかり残っている。

 ああっ、これじゃ、読者にとってこの話が映画となんの関係があるのかわからない。先の女性、以降Kちゃん、としよう。Kちゃんとは、2人で地元の映画館に行ったことがあるのだ。観たのは東村アキコ原作の『海月姫』だった。当時からベルイマンタルコフスキーの作品を観るような、こじらせぎみな映画ファンだったから、『海月姫』は正直、俳優や女優を見る映画だなと思ったけど、最後らへんのシーンは綺麗だったことと、オチが妙に良かったことだけを覚えてる。『風の谷のナウシカ』と同様に、原作が完結してない状態から作った映画だったのだけど、おさまりがいい。

 Kちゃんと映画を見たあと、映画の感想と、彼氏が構ってくれないって愚痴を「ウンウン」「それは酷いね」と聞きながらハンバーガーを食べて、商業施設の丸椅子に座ってお喋りをした。本の感想を聞いたら、「『論理哲学論考』は論理と言葉の関係がよくわかんないけど、なんか深いなと思った」とだけ言われた。その後、なんやかんやの流れがあり、ほぼ一方的にインドとネパールの陸路旅行計画の話を30分くらいし続ける羽目になった。Kさん、よく耐えたな、と思う*1。いい時間になったので、2人とも地元なので徒歩でトボトボと帰った。高架下の暗い道を並んで歩いている間、オフショルを着たKちゃんに生肩を擦り付けられながら目を見つめられたし、行先には丁度、高校生が入れるということで有名なラブホがあったんだけど、当時ピュアっピュアなカタブツ坊主だった私は、そ〜っと脇道にそれて明るい道に逃げた。そもそもそんな気があったのかは知るよしもないけれど。どうだろう、向こうからしたら手を出されないのは肩透かしだったのかな。オフショルだけに。

 その後駅前で適当に解散した。それ以降の日々、猫の写真とか、自撮りとかが送られてきたりなんかして、こまめにやり取りしてたんだけど...。そのころの私はといえば、なーんにも考えずに深夜0時に、ケネス・ブラナーが出てる方の映画版『ハムレット』を見始めて、深夜2時にようやくパケ裏みて「え!なげえ!」なんて驚きながらダラダラ見続けて、終わる頃には朝方4時になって絶望する、みたいな生活をしてた。そんな間に全部曖昧になって、Kちゃんとも連絡を取らなくなっていた。私の卒業後、TwitterもLINEもブロックされた。

*1:汚いところ嫌いって言ってたからね。