3月14日:サーチライトのつもりか サーチライトのつもりか サーチライトのつもりか

 筋肉少女帯『サーチライト』を聴いて思う。コミュニケーションの苦手さを思い出す。ある瞬間までは先を越していたりするのに,気づけばいつも1歩遅れている,そんな感覚。あるとき,「はかいさんは他人が適当にぶん投げた石と石の間をつなげてあるくような人」と言われた。確かに心当たりはあるし,別の方法でも客観的にそう言う傾向があることもわかっている*1。そういう傾向は,精神衛生にひどく影響するから,

 やあ!みんな 聞いてくれるかい?

 この世にはさ なりたくもないのに時々ね,

 暗ーくなっちまう奴っていうのが たくさんいてね

 ずいぶん面倒な目にあっているんだよ

 それは本当にやっかいでね

 オレもその一人だったんだ

筋肉少女帯『サーチライト』作詞:大槻ケンヂ

サーチライト

サーチライト

 こういうことにもなるんだろうな。と思う。オーケンと私は違うけど,”なりたくもないのに時々暗ーくなっちまう奴”の一人として。まあ,内的なことはあまり語りたくない日,というのもある。振り返れば,内向的だからか,私の外側で起きた話をあまりできてないような気がする。昔,小説を書いていた時も心の描写が重すぎるという批判をくらった。
 今日はPCの調子があまりよくない。払い終わったばっかりなのに~。頼むよ。払い終わったと言えば,今年で最後の学費を納め終わった。あとは論文です,論文だけです,論文が書ければいいんです。
 愚痴ると,入学の時点から私の身の回りの人(大学の知り合いではなく)からは知識量や年齢などから大学院生と間違われ続けたけど,学位をとっても結局ようやく”学士”なんだよね。でも,学士論文で修士レベルのものを書いていて,これを発展させて博論に到達させるという長期的目標を持っているだけに,だったら学部を飛ばして修士に入ったらよかったような気もするけど,いやでもそれでは学部というよい体験はできないし...。結果的に,今の形になるしかなかった。これでよかったと折り合いをつけるしかない。それに,大学院への入学や留学なんて,全部一旦あきらめちゃってる。その前にするべきことが多すぎるし,お金がなさすぎる。奨学金を考えることもあるけど,受けれらるかどうか。日々も忙しすぎる。それを理由に,制度に関してもいわゆる”情弱”のままで据え置かれてしまった。これは私の能力の問題だけど。たぶん。いや,いったん全部自分のせいにするしかない。これは私の人生なのだから。
 ストア派セネカの『人生の短さについて』の岩波版に収録されている「心の平静についてで」

「誰にでも起こりうるのだー誰かに起こる出来事は」

セネカ著 茂手木元蔵訳『人生の短さについて』に収録「心の平静について」

 という箴言がだいすきだ。ドン・キホーテの中に入っているロシナンテ*2が一生やってたワゴンセールで,セネカ『人生の短さについて』と出会い,数日もかからず読み終わってしまって,その後も何度も読み返していた。
 ほかにもある。他人との付き合い方について悩んでいた私にとって,

良い考えを求めて日々努力しようとも,それゆえ,われわれの進んでいく目標と工程との距離の両方を定める必要がある。そのためには,我々の進んでいく方面に通じている誰か老練の指導者がなくてはならない。というのは,この場合は他の旅路の場合とは事情を全く異にするからである。他の旅路では,よく知られているある道があるし,また土地の人に話を聞けば道に迷うような目には会わない。しかし子の旅路では,最もよく踏み鳴らされ,また人通りの多い通り道ほど,どれもみなみな最も多く人を惑わせるものである。

セネカ著 茂手木元蔵訳『人生の短さについて』に収録「幸福な人生について」

 これは納得できる論証であり,強い慰めだった。そして,次がパンチラインだ。

それゆえ何よりも大切なことは,羊の群れのように,先を行く群れの後についていくような真似はしないことである。そんなことでは,進むべき道を進んでいくことにはならず,単に誰もが進んでいく道を歩むにすぎない。

ーIbid.

 これを内面化したからこそ,今の自分はあると思う。

 

*1:私はあまりこう言いたくないが,私はそのような傾向があるという脳の多様性の一つを持っていると"診断"されている。

*2:実に面白い気の利いた名前の古本屋だ。あの,風車に突撃する滑稽な主人公描写で有名なセルバンテスドン・キホーテ』の主人公,ドン・キホーテの愛馬の名前が”ロシナンテなのである。