5月3日:ボクは“ずん“の飯尾になりたい。ー新宿のスパと静岡のハトたち

 朝に高温のサウナに入ると、ZIPが放送されていた。サーモントメガネをかけた“ずん“の飯尾が、女子アナが「飯尾さんの名前好きです。名前の通りって感じで...。」というと、ずんは「はい!名前のとおりn」と、言わなくても何が言いたいのか大体わかる返答を、CMにぶっちぎられた。私はそれを見て「んふふぅ」と気持ち悪い声を出した。生まれて初めて笑ったかのように、何か新鮮な感じがした。暑すぎてサウナを出る。『名前特集』みたいなのをやっていて、続きがすごい気になっていたんだけど、紬結ちゃんという命名が親の名前の漢字と偶然に一致する!と盛り上がっているところを見届けつつ、暑さの限界を迎えた。私の親は雰囲気で名前を決めたから、小学生の頃の「自分の名前の由来を調べてきましょう」みたいなのですごく恥ずかしい思いをしたことを覚えている。みんな、素朴に、何かには必ず“由来“があると思い込んでいる。少なくとも先生には、そういう配慮があって欲しかった。

 炭酸泉で二人の若者が寝てて、最初死んでるのかと思ってすごく不安になった。片方が起きたのは確認できた。でも起きてほしくなかった。風呂で二人死んでいる確率の方が、普通は一人死んでいる確率の方が低いから、どっちも寝ててくれた方がどこか安心できた。
 いざ入らん露天風呂。昨晩よりもよく見えるし、人が少ない!と意気揚々と湯にIN。ふわ〜っと息をついて、空を見上げる。細かめの木ぐみの間から、空が見える。すごく気持ちいい。でもやべーことに気がついた。ふわりふわりと、謎の羽毛が降ってくる。そうか、カワラバト。私はそっと露天風呂を出た。いや、たまたまなんだろうけど。とにかく今はずんの飯尾が恋しくて。

 静岡で沈んでいた頃、死ぬぞ〜つって貯金を全部はたいて毎日家の近くの入浴施設に通っていた。そこでゲーデル不完全性定理』を読んでいたのを昨日のことのように思い出せる。Alexandra Streliskiの"Inscape"という、人生でトップレベルに大切なアルバムをずっと聴いてもいた。ああ、これを書いていてわかる、今私は、バッドに入りつつあるのだ!それはともかく、静岡の露天風呂でハトは見たことない。都心部ならではだろう。静岡のハトはみんな駿府城公園にいるのだ。当時、デデキント『数とは何かそして何であるべきか』を読みながら、よくハトにマメをあげていた。"いつものようにハトマメを♪買う僕の目に飛び込んできた♪ハトマメを自分で食べてる♪The tourist from somewhere♪"*1....私が静岡中のハトを駿府城公園に集めたのだ。だから、静岡の露天風呂にはハトがいなかったんだ。知らんけど。

 さて、サウナでずんの飯尾とご対面。改めていおう。彼は、私と同じ形のメガネをかけている。いいな、飯尾。僕はずんの飯尾になりたい。限界だったからサウナは2分で出た。マヂ無理。