5月4日:わたしの母親とサンタ・ムエルテ

 GW入ってから遊んでばかりだ。GWとは遊ぶもの、だって?いやいや、今年学生最後で、やるべきことが多いんだ!だから今日は地元にちょこ~っとだけかえって母親に会った。昨日、下北の古着屋で鬼のように服を買ったついでに寄ったメキシカン雑貨屋"PAD Mexico"で、母親に良さそうな聖母マリアのイコンを買ってあったから、先祖代々からキリスト教徒である母親にあげた。そしたら十字切って喜んでた。

 私は無神論者だ。でも実は、幼稚園はミッション系だった。その頃は家庭にちょびっとお金があって、私立幼稚園の学費も払えてたんだよね。でもそこで私が学んだのは、「”神様”というありがたがられているナニカは、私の苦しみに沈黙し、世界の苦しみにも沈黙し、すべては予定通りだと代理人に言わせておきながら、多くの人間を見殺しにしている。」という端的な事実だった。ある時、幼稚園で聖書の一部を演劇でやるという催しが行われた。内容はキリスト降誕劇(Luke 2: 1-21)*1。皮肉なことに、私はマリアを断る宿屋をやらされた。とにかく、変わった格好をして人前に出るのがなにかうれしくて*2、「そんな役なのだからニヤニヤしないで」と言われた。ウケるね。

 母親はどうしても私にキリスト教を信仰してほしかったみたいだけど、私は全く無用と思っていた。何度か、寝る前に英語で聖書を読み聞かせてくれたが、それ以外の普段の母は深夜に帰ってきてはゲロを吐き、意味の分からないことでキレ、常に煙草を吸うか寝ているかのどちらかだったから、一切なにも響かなかった。彼女も彼女で大変だっただろう。でも神は慰めにもなってくれなかった。父親は、母親が食事の祈りをしようとすると横から「アーメンラーメンチャーシューメンゴメンソーメンタンタンメン」と茶化す。父親も無神論者だった。親父は、創価学会員の元カノが飾っていた木製のお題目を焚火にくべるようなヤバいやつで、ご飯を食べた茶碗にコーラをそそいで飲むような”悪魔”だった。さながら、ゴッド・ウォーズの流れから興隆してきた新無神論*3だ。おっと待って、読者の中にはいないと思うけど、万が一「親の悪口を書くなんて」って思った人に一言だけ言っておく。このように書くのは徳性の問題ではなく、私にとっての”親”とはそういう存在だから、こう書かざるを得ないのだ、と*4。それはともかく、かくいう私も、中学生のころにニーチェにかぶれ、高校生の頃には映画『神は死んだのか』でよけいにキリスト教が嫌いになり、卒業以降にリチャード・ドーキンスの著作に触れて新無神論に目覚める。という過程をだどってきて今に至る。今でこそ落ち着いたが。

 実は、雑貨屋で一緒に買ったものがある。それは、サンタ・ムエルテの像だ。サンタ・ムエルテはメキシコの民間信仰キリスト教が混ぜあわせられて生じた、死を象徴する信仰対象で、恋愛、繁栄、幸運、交通安全、死からの保護、癒し、保護、信者たちによる死後の世界への丁寧な葬送*5など、その他さまざまな目的で信仰される。大事なのは、この信仰対象は、キリスト教から「悪魔崇拝」と誹りを受けているということだ*6カトリックの総本山であるヴァチカンからすれば、サンタ・ムエルテという存在は、「キリスト教の侮辱」なのである。

 キリスト教が同居するメキシコという国。そして、そこから文化を輸入する下北沢のPAD Mexico。なんの因果か、意中の人にかかわる過程でたまたま寄った私がそこにたどり着き、マリアのイコンを「母親へ」、そして、家に帰って調べてみるまで、それがどのような存在なのかを知らなかったサンタ・ムエルテの像を「自分へ」購入したのだ。幼年にきっぱりとにこやかに”マリア”を拒否した私は、成長するに伴ってマリアの代わりに”キリスト教(ひいては宗教全ての)の否定”を受け入れ、それを学び去った。全くの偶然から、私は自分の人生における、宗教への考え方をあの場所ですべて表出させたんだ。

 先に述べたように、私はいまや新無神論を”学び去り”、寛容な立場をとる。ただ気に入ってサンタ・ムエルテを眺めて、未分化の願いめいたものを思うことはあれど、何かを明確に「お願い」しようとは思ってない。ただそこにあるだけで、何か安心する。これは私がまだ何かを信じるという気持ちを持っていたころに感じていた「信仰」と同じものではない。相反するものが併存する文化があり、当事者たちはそれでいい、ということの証拠、つまり、分かり合えない人とは分かり合わず、かといって争わずでよいのだ、ということの物的な証拠のように思える。知的不誠実からそのような、見かけ上矛盾しているようなことを認めているのだ、という、アタマで生きている人たち*7のものさしで断罪することは容易だ。でも、人間の生命の本質は”からだ”であり、”アタマ”ではない。

 ちょっとバカマジメなこと書いちゃった。たまにはいっか。

*1:ルカによる福音書 2 | 新共同訳 聖書 | YouVersion (bible.com)

*2:演劇の才能はこの頃からあったのかもしれない

*3:簡単に言えば、神を信じないというのではなく、むしろ積極的に神の存在を否定していこう、という立場。積極的無神論ともいう。新無神論 - Wikipedia

*4:親との関係を修復しようと頑張っていたけど、やっぱり無理だったんだ。私にとって彼らは、つかず離れず、何かしらの縁がある他人だ。そうなっただけでも、大きい進歩だった。

*5:正直、メキシコ文化への理解が浅いため、特に「死後の世界への丁寧な葬送」という翻訳の正しさは保証できない。少なくとも、「死者の祭り」などにおいて、メキシコ文化圏においては死後の世界が認められているという程度の事実からの類推である。原文: "~, and safe delivery to the afterlife by her devotees." Santa Muerte - Wikipedia

*6:Santa Muerte: The saint known as Our Lady of Holy Death | History 101

*7:理性主義者