5月29日まで:絡まる糸

 26日の卒論関連イベントが原因で起きた胃痛。ふと足を止めて、というか、何もかも嫌になって、現状を改めて見てみると、確かに多くの人に支えられていたことに気づく。いつもこうだ。私は生きる上での相互作用について、すごく気にしているようで、実はしていなかったのか?いろんなところから糸を引っ張ったせいで、自分の見えていないところで“ダマ“になっているんではないのか?それが原因で、他人の中に(それが一時的な気の迷いだとしても)ちょっとした混乱を生んでいるのではないのか?いや、他人の心の中のことはわからないけども....。

 ああ、自分の将来の選択、だんだんと幅がなくなってくる一方なのに、ずっと間違えている気がしてきている。「“間違えている“という発想には“正解“が含意されている」という主張に対してあらかじめ返しておくとすると、これは「明らかな不利益を認識している行動を、自身の傾向や何かしらの環境要因によって修正することができない」と言い換えられるようなことであるから、人生一般における全体的な「正解」の話をしているのではなく、もっと短期的な意味での選択の「失敗」の話をしているのだ。...ここまで書いてきて、自分の話に納得できない点しか無くなってきた。それは結局成功と表裏一体であり、何かしらの理想を伴ってる。バカだなあ。

 自分のことが信用できないし、隠すこともできない、自分を確保できてない。だから、自分にまとわりつく糸もよくわからない。