2024年2月24日:好き好き大好き,ヘリクツBOY,恋のコリーダ

 ずいぶん久しぶりにはてなで日記を書く。去年の終盤からめっきり,他人が読みやすいエッセイを書くということはしていなかったからすこし緊張する。去年は突然実験的な文章や,自分自身のノリで小難しいことを書き散らすようになってしまって,読者に親切じゃないなあと反省。昭和軽薄体のマネゴトなんかもどっかにいっちゃって,ほんとに一貫性がないなあと思った。今年は,ちゃんと昭和軽薄体っぽく書かないとなあと思いつつ,そもそもオーケンの文章を読んでないからそういうリズムが採れなくなっちゃってんじゃないの,だからもっとオーケン読もうぜ。オーケンをたくさん読む年にするんだ!

 タイトルは戸川純の名盤『好き好き大好き』に収録の「恋のコリーダ」からとった。なんでかっていうと,この曲がか~なり好きだからだ。この話をする前に,同アルバムの他のオキニの曲について話そう。オキニは全部で5曲ある。「好き好き大好き」「ヘリクツBOY」「遅咲きガール」「」そして「恋のコリーダ」。これ,全部について書くと長くなるから,書く習慣を再形成するために連載形式にしようとおもう。

 まず「好き好き大好き」は言うまでもなく純ちゃんの代表曲だね。TikTokやらYoutubeShortで使われて,軽率に流行っている。それ自体はとても喜ばしいことだが,個人的には曲全体ももっと聴かれてほしいな,とおもう。純ちゃんは,20世紀終盤は終盤に”ニューエイジ”というラベルを貼られていたアーティストだ。あの時代は,平成生まれの私が思うに日本音楽の黄金時代だったと思う。平沢進P-MODEL赤痢Plasticsヒカシュー,そして戸川純(YAPOOS, ゲルニカなど)など,いやいや,もちろんチョイスは偏ってる。でも,これらはあまりにもトガっていて,いつまでも色褪せないだろうとおもう。プラトンアリストテレスが今でも読まれ,人類の脳の自由時間が莫大になった時代においても価値を持ち続けるように,いつまでも聴かれるだろうと思う。それはまあいい。話を長くし過ぎるな。
 この曲「好き好き大好き」の気迫は純ちゃんにしか出せない。あの声の迫真性。他の曲だと,YAPOOS名義で出している『ダイヤルYを廻せ!』に入っている「Men's JUNAN」からも同じパワーを感じる。後半で,「アンチニヒリズムの直観認識は潜在的幼児性暴力癖を誘発」といった小難しそうな言葉が出てくる。小難しい言葉とはいうけど,これはバカにしているわけではない。『好き好き大好き』に収録の「ヘリクツBOY」でも小難しいことを並べ立てる男性に文句を並べ立てる。しかし,ここでだまされてはいけない。筆者の私が想像するに,”ヘリクツBOY"なる男性はきっと女性に対して小難しい言葉をつかって気持ちよくなっているわけだ。こういう手合いはよくいるんだよ。”同じ大学”にいて,”同じ講義”を受けているはずなのに,女性相手に知的マウントをとる手合いは。これは”マンスプレイニング”と呼ばれるものと根っこは同じだろうなと思う。しかし,そんな”ヘリクツBOY”の言葉は純ちゃんの演じる女性にはすべて”理解されて”しまってる!だから,彼女も彼のいろいろを小難しい言葉で指弾することができるんだ。彼の精神的マウントを「かわいい」と思ってさえいそう。彼女は”ヘリクツBOY"が理性に囚われていて,身体性などの感性をないがしろにしていることをうま~く指摘している。あ~もっと改めて書きたいけど,このヘリクツは今日はここまで。「好き好き大好き」は,この「ヘリクツBOY」が示す感性や身体の”強さ”みたいなのを結晶化したものだとおもう。とにかく,聞いてみて。アルバムに収録の順番としては「ヘリクツBOY」の後に「好き好き大好き」なんだ。そこにはきっと意味があるとおもう。しかしここでは,あえて「好き大好き」の後に「ヘリクツBOY」を貼ってみる。

 


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