3月10日:鷦鷯,”闘う君の歌を、闘わない奴らが笑うだろう”

 中島みゆきの『ファイト!』を知ったのは数年前のこと。中島みゆきはそれまで,『糸』とか,そういう恋愛ものの歌しかしらなかった。『ファイト』は,朝起きて,なんなんだこの人生,とか思いながら戸川純とかそのあたりの曲をなんとなくザッピングしてるときに出会った。眠気眼に聴こえてきたのは歌い出しの次の歌詞。この歌詞を聴いて「え!」とはっきり目が覚めてしまって,その日は一日中それを聴いていた。

あたし中卒やからね 仕事をもらわれへんのやと書いた 女の子の手紙の文字はとがりながらふるえている ガキのくせにと頬を打たれ 少年たちの目が年をとる

中島みゆき『ファイト!』

 『ファイト!』は,地方から上京する人間の物語である。私は上京勢ではない,たまたま,東京近郊で産まれ,文化的に恵まれた環境下で生活し,その恩恵を享受してきた。ミソサザイ国立科学博物館に連れていったとき,彼女が素朴に「これが近くにあるかないかで全然ちがうんやろうな」と呟いたことの重みはすごかった。もっとも,地方にも科学博物館は沢山ある。私とて,国立科学博物館に通い詰めてはいるが,最初は地元の産業科学博物館だった。科学への関心はここで育まれた。夢をバカにするひと,他人のしようとしていることが,自分には理解不能であるという理由から*1,足を引っ張るような”現実的な”アドバイスをしようとする人は沢山いる。中には一端の真実を含む言葉がそこに含まれるにしても,そのような偶然的な正しさだけを拾うだけで,その人自身があなた自身に対してとる知的に不誠実な態度を許す必要はない。あなたの人生は他でもないあなたのものであるから。
 だから,私がこの曲にひどくシンパシーを覚えるのは,”あたし中卒やからね”の部分だ。私は現時点では高卒でしかなく(まだ卒業してはいないから),大学進学を金銭的問題から一度断念したときから不本意な労働をさせられてたことだ。現代の日本が*2客観的資格としての最終学歴,資格というものに人間を判断し,階層化に利用しているというというのに,その学歴の形成の仕方が親の経済力に由来していたり,資格にしても,本当に有用な資格を経営者側がうまく判断できなかったりとか,様々な問題として複合的に不毛な状況を生み出してる。馬鹿みたいだなあとおもっている。

*1:あるいはそれに無自覚で,自分の知っていることがすべて正しいと思っていることから

*2:総称文になってしまっているが,少なくとも私が知る中では,くらいの意味だ