7月2日: リトおじさん

 VOXのギターアンプとモニターヘッドフォンが届いてから、憑りつかれたようにギターを弾いている。空いた時間のうちでは、本を読む時間よりもギターを弾く時間のほうが増えたから、指先には新しいギターダコができはじめた。もう痛すぎて弾けないな~と思ったので、ポリッシュでギターをゆっくり磨き、レモンオイルでフレットを保湿していたら、「そういえばあの人のことを書きたかったな」と思い出し、いま筆を執る。リトおじさん。それが尊敬する彼の名前。昨今の私の生活は、アルコール、タバコ、....と、あまり褒められたものではない。しかし、この体験を通じて呼び覚まされた古い記憶のことを思うと、それほど悪くはないのかもな、とも思う。
 名前でお察しの通り、クヤ・リト*1は母方の親戚である。実は物心ついてから3回か4回しか会ったことがないし、時期も記憶が曖昧だ。短い金髪をセットして、腕にタトゥーを入れ、アル中で常にのんだくれ、指の震えているクヤは、会うたびに私を全力でほめたたえ、何をしても前向きに言い換えてくれるおじさんだった。ようは、私のことが(なぜか)大好きだったのである。日本語は片言だが、味のある言い回しで、母国語と交えながら一生懸命に私の一挙手一投足を褒める*2
 彼は教育をほとんど受けておらず、英語も得意ではなかった。話せるのはタガログ(フィリピノ語)と、拙い日本語のみ。数字も苦手だと聞いていた。普段はどうしていたんだろう。日本にいる親戚からもらい煙草をしたり、お金をもらったりしているのは見たことがある、...あとはどうやって生活していたんだろう?本国ではギタリストと聞いていたけど、日本ではわからない。謎は多い。子どもの私は、そんなクヤと同じく拙い日本語を話すが、それを一生懸命に聞いてくれた。私が飽きるとアコースティックギターを弾いて、はちゃめちゃにカッコイイ、ビブラートの効いた低音ボイスで歌を突然歌う。外にも連れて行ってくれる。大きめの枝を持ってきて、吊り橋の真ん中まで行き、上流側に投げて、どっちが先に吊り橋の下流側にたどり着くか勝負する遊びを教えてくれた。そんなクヤが、私は大好きだった。あるとき、一緒にお風呂に入ろうと呼ばれたので、意気揚々と脱衣所に入ったら、待ち構えていたクヤが自分のアレを股間にはさんで「キャー!」と叫んだのが衝撃で泣きながら逃げ出したことをよく覚えている。結局、私は怖がって隠れてしまったので、一緒にお風呂に入ることはなかった。
 その次に会ったのはいつだったか。相当な年月が空いてからだったと思う。少なくとも、その機会は私がギターを始めて触ったときであるし、そして空手をさせてもらっていた時期だから、中2の頃だ。きらきら星を教えてもらった。そうだ、書きながら思い出した。私が初めてギターを触り、弾いたのはきらきら星だった。それも序盤のフレーズだけだったが、教わりながら真似して弾いたら、小学生のころの私に対するのと変わらない調子で、大げさなくらい褒めるのだった。いつか弾けるようになったら一緒に弾こう、そして聴かせてくれと言われた。
 また小学生の頃の記憶に戻る。彼は争いを異常に嫌っていた。親戚が集まるときにしか会えないが、人間は悲しいもので、親族が集まればしばしば小競り合いが起こるものだ。そんなとき、クヤは揉めている当事者同士になにかタガログ語でまくしたてながら、私を別の部屋に連れて行くのであった。その時、よく争いや戦争の不毛さを語られた。そして、彼の持っているファミコンを遊ばせてくれるのである。カセットは「グラディウス」と「ストリートファイターⅡ」*3。争いじゃん、と思いながらも、対戦は楽しかった。ガチャプレイ*4しかできない私に、今思えばわざとだと思う、負けて悔しがって、すごいねと褒めてくれた。ゲームはゲーム、争いではないもんね。
 さて、話を中2の時に戻そう。きらきら星を教えてもらった私は、空手をやっていることをクヤに伝えた。いや、もしかしたら母親が言ったのかもしれない。争いを嫌うクヤだから、すごくヒヤヒヤした。でも、それも褒めてくれた。「You are good fighter!! 誰かを守るためでしょ!!」、こういってくれたのをはっきり覚えている。彼は、私が親戚の集まりに連れていかれた時の私しかしらない。でも、言葉にお世辞がないと仮定すると、私から感じる"何か"からそう思って言ってくれたんだろう。すごい慧眼だねクヤ、あれからまる三年後、私の身体能力・技術は、実際にある強盗事件の犯人確保に貢献した。ある人が他者から向けられている暴力に介入し、抵抗した。そうした場面に直面したときにクヤのことを覚えていなくとも、クヤが望んだとおり、そして、それ以外に使わないように生きていた。そして、これからもそう生きていく。部活動は柔道で、課外で空手をやっていた私は、正直言ってそれらの道場で精神性の教育を受けた覚えがない。私の中では、「道」の精神ではなく、「クヤ」の精神が、私が暴力を嫌い、持てる力は他人を守るために使うという考え方の基を形成していた。
 ある日、確か中3の頃、彼がある事情から強制送還され、二度と日本に来ることができなくなったことを母伝てに聞いた。インターネットを使えないクヤとは、もう連絡を取るすべがない。他の親戚との連絡も取っていないようで、誰も行方をしらない。それかなにか気を遣って、私に教えないようにしているのかもしれない。写真も残っていない。唯一、はるか昔、私が母親の代わりに親戚の動画を投稿していたアカウントに、彼が他のギタリストと一緒にエレキギターを演奏をしている動画が残っている。彼の演奏は、記憶と違わずキレがあって、武骨で、かっこいい。集まりで聴いていたアコースティックや歌とはまた違った、クヤの”声”だ*5。今何をしているのか、フィリピンのどこにいるのか、願わくば、また会いたい。ねえ、ぼくも、ギターを少しだけ弾けるようになったよ。
 

*1:クヤ: Kuyaとは、お兄さんという意味だ。だから、リトおにいさん、リトおじさんと呼んでいると理解してくれていい。

*2:なぜ、いま彼を思い出したのかには、たぶんもう一つ理由がある。それは、いま私の関わっている多くの人が、私のことを誉めてくれることで、彼の存在が記憶の彼方から掘り返されたというのもあるかもしれない。長らく埋もれていた、数少ない、無条件に褒められるという経験をすることによって、私の頭が似たような記憶を活性化させたのだろう。

*3:すっげー動きがおせえなと思っていたので、ターボじゃないほうだと思う

*4:めちゃめちゃにコントローラーを押して、無鉄砲に戦うこと

*5:心からそれが好きでやっている人の音楽は、その人の出す”声”のひとつだと、私はそう思っている。