8月17日:トリフィド時代が早く来たらいいのに

 ついに大きな試験が終わって、その自己採もダメダメで、今年はあきらめて破滅的な生活をしている。最近はメンクリにも行けてない。自分の無能さをひしひしと感じる。忘れもの、誤字脱字、飲酒や適切でない服薬に溺れ、目の前の快楽のみを求め、中長期的な計画をすべて喪ったかのように生きている。本当はやるべきことはたくさんある。優先するべきは、卒論、原稿、仕事。他にもやりたいこともたくさんある。でもどうだ、実際の生活を見てみれば、ダラダラとギターを弾き、音楽を聴き、ひたすら夢野久作の小説を、丸尾末広の漫画を読んで、アブサンを飲んで、あるいは処方薬を飲んでも寝ずに他人に絡んで迷惑をかけ続ける。「近いうち死ぬんじゃないか」、直感がずっとそう言っている。
 好きなだけ勉強をしたい気持ちと、これから何をやってもどうにもならないんじゃないかという漠然とした不安、人生の答え合わせのような時期が来ている。これまでしっかりやってきたつもりが、どこかでタガが外れて、どんどん眼前の快楽に溺れる。習慣が人間をつくるのだ、自分では、今の生活を構成する様々な習慣が、どうにも将来によくないものであることもよくわかっている。
 自分がまたどんどん嫌いになる。ものを書くこともうまくできない、別に対して物語を書いたことがないのに、急に文学賞に出そうとしている。自分の身の丈に合わない挑戦ばかりしようとして、苦しんで、それを周りにまき散らしている。アーア。
 ニンゲンが理性で理由付けが可能なものと、そうでないものの腑分けはうまくできているつもりだ。だからこそ、自分の気持ちのやり場がわからない。すごく単純な負の感情が、「これについて言語で手をつけたところでどうしようもない」という無味乾燥極まりない残酷な事実として心に横たわる。どうしようもない、感情という、身体性を帯びたものをどうにかするために、身体に作用する物質に依存し始める。こんな道理はわかっているけど、どうにもならない。”感情”が、現実の環境を取り巻いている幸せな状況を見る目におかしなフィルターをかけて、だれもわかってくれない、という不幸を生み出している。
 破滅の日が来る。このままでは。それもわかっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の存在が肯定される意味が分からない。