8月16日らへん:放蕩日記

新宿

 解放感と絶望感から放蕩を始める。なにかしらの理由をつけて新宿に行く、The Doors"People Are Strange"を聴く。女性のいる店に入るわけでもなく、バーに入るわけでもなく、日高屋で安く出来上がって、コンビニで缶ビールを追って体内に投入する。ぼくはフラッシャーだから、真っ赤になって気持ちよくなったら、新宿ゴールデン街戸川純を歌いながら練り歩くんだ。ビカビカ光る街、ギラギラした人間、露出の多い服、そういうのを、まるで自分が地球の外からきた何かみたいな気持ちで、なにもかもを、どこまでも他人事として観察する。観光客が街に向けるカメラにピースをすると、にこにこして私を写す。どうやら、わたしはちゃんと他人に見えて、存在しているものらしい。そういう形で、自分が確かに存在していることを実感する。ただこうやって街を歩いているだけで、どうしてこの街がこういう形をしているのか、立ちんぼはどのような格好をしているのか、どういうところに観光客が多いのか。人の靴、人の指、人の髪、ふるまい、そしてできれば、その人がどういうことばをつかって、どんな会話をするのか。街は情報にあふれている。情報にまみれている。なにが情報なのかということも、そして、この時代に、わたしが存在して、また周りの情報の一部になっているということも、すべてが快楽になる。私は新宿東口が好きだ。軽薄な営利目的でしかない、なんの信念もない店。高級車に乗る黒人。喧嘩を始めるホスト。話しかけるのが強引な客引き。少し歩けば新宿御苑。深夜に御苑のそばを歩くと、夏は郁郁青青。冷たい空気が森から流れ出す。歌舞伎町近辺のドブネズミ、下水臭、おなじく放蕩する人間どもが放つ醜いアセトアルデヒド臭のすべてが、まるですべて嘘で、夢だったような気さえしてくる。あの街は、人間どもの清濁のすべてを吞み込んでいる。シラフの時の楽しみ方も一応書いておこう、私にとっては簡単なことさ、気になったカフェに入る、紀伊国屋書店に入る、ディスクユニオンに入る。以上だ。ライブハウスもある。映画館もある。酒なんか飲まなくても楽しい街だ。デートにはうってつけさ。気が向いたらゲーセンに入ればいい、新宿東口には、この宇宙の全部の星の数よりも多くゲーセンがある。一応西口の話もしておこう。都庁のそばの公園では、たまに映画の野外上映をしていたり、お祭りをしている。一度だけ、野外上映で『Stand By Me』を観たことがある。大食い大会で目方の大きい男の子がゲロをまき散らす場面でもらいゲロをしそうになったことを今でも思い出す。帰りに、孵化するセミを見た。まだ表層しか話せていないが、とにかくいい街なのだ。

 

地元-最寄り駅

 新宿とは別の日。買い物帰りに飲酒をする。私は歌うのが好きだ、今度は『オーケンファイト』を歌う。人の配信を見つつ鮭とばをかじりながら、ラッキーと名前のつく酒を買って、ラッキーストライクと一緒に写真を撮る。地元はつまらん。でも、それだけに考えごとをしたりするのにはちょうどいいんだ。地元にどんどん近づくと、父親が昔店長をやっていた店の前を通る。ママさんに声をかけられる。ついではオーナーを呼び出され、挨拶される。そのなりゆきでなぜかタイムカードの機械を修理させられたんだ。なまじ器用でなんでもできるし、機械の修理なんかは子どもの頃からボロボロの家電やらドアノブやらを直させられていただけではなく、そもそも物の構造がどうなっているのかを知りたくてしかたない性分だから、今回も初見の機械だったがうまく直すことができた。てか、いまどきタイムカードって....。マア、そんなことはどうでもよかろう。店の女性たちにちやほやされながらオーナーに連れられて退店。はー、なんでタダ働きさせられているんだろう、でも知識が増えたからいいや。そんな感じで、再び日高屋に入る。購入したドラムスティックをにこにこしながら眺めて、Marshallのヘッドフォンで音楽ではなく配信を聞く。頼むのは餃子と生ビール。ただそれだけ。安上がりだ。帰りにはもちろんもう一本飲む。何も起こらない。ただ歩いているわたしがいる。あるいているわたしがかえる。なにもおこらない。静かな道。幸せそうなカップルが、手をつないであるいている。追加の一本をコンビニで買って、コンビニ横の植え込みに座っていた外国人と乾杯をしたら話しかけられた。「だれと話してるの?」(配信しながら歩いていたため?あんまり覚えてない)「何番目?」「名前は?」と聞かれる。私はひとりっこ、私ははかい。少し会話して、私の内臓がキツかったので帰ろうとしたら「はかいいい人!」「なんか、将来有名になりそう!」と言われた。彼の直感にそう思わせる何かがあったのか?私にはわからないが、とにかく好印象をもってもらえてうれしかった。ハイタッチした手、握手した手は大きく、暖かく、柔らかかった。笑顔が素敵だった。やっぱりぼくは存在しているらしいし、人と話ができるらしい。ニンゲンは生きているらしいし、考えたり感じたりしているんだ。家に帰ればぼくは眠るんだ。音楽を聴きながら。人と話すんだ。そのときに、自己効力感を得られるから。機械に対する好奇心を満足させるのもそうだけど、結局、どこまでも私は快楽におぼれているのさ。