8月28日: 離合

 今日は“世界との調和”どころではない。突然、自分や他人の肌がきめ細かいところまで見えるようになり、嫌気が差す。他人の汗が見える、日焼けで赤らんだ肌が見える、太陽が落っこちたような真っ青な肌が見える、毛穴が見える、ホクロが見える。笑いをこらえながら歩く人のにやけ顔がみえる。私を笑ってるのだろうか。イヤホンをして音楽を流せば、世界からすっかり外れてしまって、世間の何もかもが他人事になる。自分は、そこに存在しない気がする。ただこの視界だけが、この朝の時間にどこかへ、おそらく多くは職場へ向かう人たちを少し遠くから眺めて動いているような気がする。例に漏れず、自分も働きに行くというのに、その視界は「どうして皆同じ時間に、同じところに向かって移動するんだろう」という疑念を湧き起こす。視界もまたその動きに漏れていないというのに。他人がそばに居る、多くの他人がそばに居る。手が見える、小鼻が見える、人間がそこにいる、ここにいる私も人間なのだろうか。どうして?世界はこんなに私ではないのに、なぜ私は世界にいるの。唇が見える、携帯を見ている。視界もまた例に漏れないのに、どうして皆同じスマホをみているの?と思う。髭のそれていないところが見える。何も見たくない。見たくない。世界が他人事に見える。自分は世界の1部じゃないように感じる。世界の一部じゃないし、“世間”の1部でもないように感じる。

 8:50 近くの人間がメガネを外した、何故か自信ありげな表情をしている。うなだれる人間の汗ばむ様子がわかる。少し遠くで、たまたま見た事のある人が何とは言わず気まずそうに床を見ている。すぐそばでは、明らかに背を反らしすぎで無理な姿勢をしたまま吊革を掴む人間が、不安そうにキョロキョロしている。私は何故か、腹部に大きな違和感を覚えている。胃が縮み上がっているような、肝臓の当たりがぎゅうぎゅうと握られているような。無理な姿勢をした人が離れて安全なところに行く、足を引き摺っている。なるほどと思う。安心出来る所に立てたようだった、視界はほっとしている。この車両の中に無数の視界がある。朝からニコニコ話をしている。男性のほとんどが似たような格好をしている。なぜ?ニヤニヤしている。あるいは諦めたような顔をしている、あるいは自信満々である。彼らもまた視界である。

8:56 視界は瞑想に入る、8時間程度、ニンゲンにならねばならないのかもしれない。あるいは、視界のまま過ごすのかもしれない。どっちかはまだわからない。胃が縮み上がっている感じがする、あるいは、肝臓が握られているような感じがする。お腹の中に“こぶし”がある気がする。

 9:02 そうだ、朝にエスプレッソを飲んだのだった。そのせいで、胃が縮みあがっているのかもしれない。

 12:01 会社でコーディングをしていると、視界に精神が宿り、わたしが世界に戻ってきたような感じがした。問題解決と好奇心がもたらす快感に、心からの敬意を。そしてわたしに軽蔑を。お腹にこぶしは入ったままだが、朝よりは惨めじゃない。アグノトロジー論文を読むために珍しく昼に会社から買い物に出る。エレベーターは非常に混む。Tibetan Bellがカナル型イヤホンから脳を支配し始める、地の底から這い上がって肩を掴むような迫り来る音。きゅうきゅうとなったエレベーターの中で佇むサラリーマンの、くたびれたシャツが虚しい縦縞の光を放っている。この神田神保町を地図なしで歩けるようになったのは、いつからだろう。

 17:29 今朝より調和が取れた。他人より自分の頭の中がより忙しく、焦燥感がある。目が疲れたからだ。人間の造形があまり恐ろしくない。快速に乗ることが出来た。快速に乗るための快速の徒歩をした。人間の表面より、また中身が目に...心に?つくようになった。でも臭いは苦手だ。昔の私と同じように―そしておそらく彼は私より勤勉だー、手を(おそらく)機械油に汚している人がいる。前に座っていた人間の匂いが背中を伝わって私を包もうとする。不愉快だ。人間の表面も中身もいまはそれどころでは無い。